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 コラム

 1.人魚のしずく誕生秘話


product.jpg「人魚のしずく」シリーズが生まれたわけ

 静岡県立総合病院 元看護副部長を長年勤め、
 現在セリオコーポレーションの相談役である奥野節子さんは
 『人魚のしずく化粧品』の生みの親の一人でもあります。
 自身の体験から商品開発に携わり、製品化にいたるまでの
 開発秘話を聞かせて頂きいました。


  •  私が、「にがり」入りの“人魚のしずく”の試供品に出会ったのは4年前、静岡県立総合病院看護部の副部長として勤務し、体調不良のため3月に退職を決意している頃でした。
     当時、私は心臓・肝臓・膵臓・甲状腺・副甲状腺など十指では足りないほどの病気を抱え、薬も大量に服用していました。それに加え加齢による皮膚の乾燥も進んで、かかとなど冬になるとひび割れがひどく、夏から手入れしても効果はありませんでいた。
    そして、娘はアトピー性皮膚炎で、睡眠中に皮膚を掻きシーツが血だらけという状態でした。
  •   「これを試用して意見をが欲しい」

     と深田社長から言われ私と娘が試用しました。
     試用開始してからかかとはつるつる、皮膚の乾燥はおさまり、アトピーの状態も良くなってきました。
     しかしまだ改善の余地があり、厳選した植物性原料の使用、より保湿性の高いものに、価格は安くなどの提案をし、繰り返し依頼をしました。
     とりわけ苦労したのがにがりの配合量の検討でした。
     配合量を増やすと保湿性がアップする反面、皮膚への刺激が強くなるという問題が生じるため、他の原料とのバランスを考えて、何度も試作しては多くのモニターの方に試していただきました。
     そしてアレルギーテストによる安全性の確認の末、ようやく製品化できる状態までになりました。

     しかし当時、にがりが化粧品原料として認めておらず、製品化しても化粧品業界の激戦のなか採算は取れないということで、製品化中止になったのです。

  •  その時、私は母のことを想いました。私事ですが少し書かせていただきます。
     母は54歳で父を亡くし(私は母44歳の時の子供です)、7人の子供のうち2人は独立していましたが、あとは大学生を筆頭に小学校4年になったばかりの5人の子供を女手一つで育ててくれ、貧しいなか本人の希望する高校・大学・専門学校と出してくれました。
     ずっと働き続けの母でした。
     明治生まれの母は大きな病気も1度や2度ではありませんでしたが、愚痴一つ言わず頑張ってくれました。

     そんな母が75歳を過ぎた頃から老人性皮膚掻痒症で皮膚が乾燥し、「かゆい、かゆい、ちょっと背中を掻いて」ということが多くなりました。痛いというのはある程度我慢できるが、かゆいのは我慢できないと、患者さん達もよく言っていました。
     また年を重ねるほど手が届く範囲は狭まってきます。軟膏や入浴剤、石鹸など何種類も試してみましたが効果はありませんでした。

     母と同じ苦痛を感じている人はたくさんいるのではないでしょうか。
     母には間に合いませんでしたが、この製品を没にしてはいけないと思い、化粧品原料として認められたのを機に、化粧品メーカーの方やモニターの方、深田社長の努力でついに商品化し販売することになりました。

 人魚のしずくのファンの方には十分“人魚のしずく”の良さは理解していただいていますが、使用していただいていない方にも是非お試しいただきたいと思っています。
 先にも触れましたとおり、ご使用の際、ヒリヒリと刺激を感じる方がいらっしゃるかと思いますが、これはにがりによるものです。


 ちなみに“人魚のしずく”のネーミングは私で、デザインは娘です。

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